2013年6月 一覧

人と出会ってはじまること。

ここ最近のブログで、針葉樹や家具のことばかり書いてきたので、

「寄せ木の作品どうなってるの?」とご心配の方もいるかもしれません。

寄せ木もやっているよということを申し上げたうえで、

なぜ針葉樹家具に力を入れはじめたのか、少し話しをしておきたいと思います。

昨年春にテイクジーの工房には、影山というスタッフが入りました。

スタッフといっても彼は、「弟子」や「従業員」とは違います。

一般的に何と呼んだらよいか分からないので、対外的には「スタッフ」と呼んでいます。

彼と出会ったのは2005年、8年前のこと。

「◯◯という会社の影山と申します。

中川さんとおもちゃを共同開発したくお電話しました」

こう切り出されて、僕は驚いた。

中川岳二という名前はあるにもかかわらず、
作家としては「無名」と呼ばれるこの僕に仕事の依頼?

しかもタイミングがいい。

この時僕はちょうどテイクジーブロックを考えていて、
次の個展が終ったら工場を探して歩こうと考えていたのだ。

「工房にお会いしに行っていいですか?」
「僕の方が御社に伺います」ということになった。

正直◯◯という会社を僕は知らなかったので、
どんな会社か自分の目で見てみたかったというわけ。
品川駅に降り立った僕は、田舎者ならではの場違い感を感じていた。

いくつあるんだよという、指折り数えていたら足の指でも足りない数の

自動改札が休憩の暇もなくパッタコンパッタコン。
地平線まで続きそうなビル群の向こうに山が見える気配はない。

信号待ちのこの大勢に、それぞれ向かう場所があり、仕事机がある。

スチール製の事務机が数限りなく連なるようすが頭に浮かぶと、頭がクラクラした。
「はじめまして、影山と申します」

Tシャツにジーパンの僕を彼が見つけるのは容易なことに違いなかった。

僕からすると、彼は背広の群れから突如現れたとしか言いようがない。

身を隠していた訳ではないのだろうけれど、「影山」という名前がピッタリだなと思った。

僕はべつにポリシーとかで背広を着なかった訳ではなく、

持ってなかったし、買うお金もなかったというだけ。
オフィスの打ち合わせ室で、◯◯社についての説明を受ける。

へぇー、僕は知らない会社だったけど、

幼稚園保育園市場ではナンバーワンシェアなのね。へぇー。

影山は僕より2歳若く、早生まれなので学年では1つ下。

僕の作品を知ったのは彼が地方の大学のデザイン学科で学んでいた3年の時。

来年の卒業制作に取り組むにあたって、
東京の美大の卒業制作を見て勉強しようと考えたとか。

子供向けの玩具のデザイナーを目指していた彼は、自分でも木のおもちゃを作っていた。

「衝撃的すぎて、打ちのめされた」それが僕の作品を初めて見た時の彼の感想らしい。

作者に会いたかったけれど、そこに僕はいなかった。
打ちのめされながらも、めでたくも彼は◯◯社に入社、

念願の子供向けの玩具・遊具・教材の開発に携わることとなる。

遊具や家具など彼発案のいくつかのヒット商品を生み、著名なデザイナーとも仕事を重ね、

順風満帆の船が品川の海を行くという感じだったろうか。

ある程度仕事を覚え自信もつきはじめた頃、

◯◯社の営業社員から彼に連絡が入る

「横浜の幼稚園の園長室に面白い作品があるから見に来い」と。

そこにあったのは『タンキチとソンキチ』、僕の卒業制作だ。

2004年に横浜で個展を開いた時に縁あって、
横浜の素敵な幼稚園に嫁いで行った作品が、また縁をつくる。

再び「打ちのめされた」彼はいつか会いたかった作者に連絡を取ってみることにした。
そうして僕たちは共同開発の玩具について話しをすることになった。

しかし話しは思うように進まなかった。

その原因は若すぎた僕にあったと今は思う。

その頃の僕は尖っていた、それはちょうどとんがりコーンを指に5つはめたぐらいで、

東京タワーのキーホルダーもかくやという尖りぶりだった。

そして自分の無名さを棚に上げて尊大だったと思う。

「ただ沢山つくることはゴミをつくるのと一緒なんです!」

大きな会社と仕事をするとは、

どうしても自分の思いだけではカタチにできないということ。

自然素材の持つおおらかな反りや狂いが、コストという言葉のなかで弾き出されてしまう。

納得できなかった、狂っているのは狂うことを受け入れられないもの作りの方であろうと。

雨にも風邪にも微動だにしないビルの中で、狂うことが普通なことを受け入れられない。

雪が降ったり、電車が遅れたり、階段で転びそうになったり、

雨が降ったり、気持ちが沈んだり、晴れたり、楽しくなったり。

気圧の変化や月の位置で人の体調は変化し、気持ちは反ったり狂ったりする、それでいい。
「申し訳ないがブロックは僕1人で開発します。

もしよかったら◯◯社でも販売していただければと思います」

彼は怒ることはなかった。

「分かりました。ではその方向で会議にかけます。
ただ玩具の安全性だけは僕にチェックさせて下さい」

今思えば、僕の方が折り合いをつければよかった程度のことだったかもしれない。

でも僕は東京タワー程のとんがりコーンだったのだ。
結局のところ、◯◯社からの販売も決まり、

安全性のテストや改良など彼のアドバイスで滞りなく進んだ。

Tシャツ・ジーパン兄ちゃんの工場めぐりは正直苦戦したが、

◯◯社からの受注が決まっていることの信用から、
最良の工場で作ってもらえることとなった。

最終的に『テイクジー・ブロック』は僕の思いを完全に実現することができた。

こだわりの結果、ちょっと高価になってしまったけれど、
良いものになったのは間違いなく、彼の協力があってこその結果だったと思う。

「いや~、よかった最高の木のおもちゃができたね!」
「次も何か作りましょう!すぐやりましょう!」

意気投合、というやつ。

僕は作品展に来て下さる方と話していてもそうなんだけれども、

作品は僕の好みがそのまま出ているものなので、作品をを好ましく思って下さる方は、

基本的によいと思うものが近いんじゃないかなと思う。
その後『テイクジー・ズー』の販売も協力いただき、

◯◯社にはほんとうにお世話になった。

当初共同開発だったブロックの販売だけという関係を◯◯社が受け入れてくれたことで、

自分で工場探しからやることができ、地方の工場のいろいろな社長さんとお話をしたり、
工場を見学し、多くを学ぶこともできた。

全国の保育園幼稚園で販売していただき、その反響を聞いたりもできた。

「無名」の作家にとって、
成長できる機会をつくっていただいたと◯◯社と彼には感謝していた。

それからしばらくして、彼から
「中川さん、僕、◯◯社を辞めることにしました。なので引き継ぎのことなど~~~」
驚いた、順風満帆の船は僕からは乗り心地がよさそうに見えていたからだ。

自身の目標に向かって、とりあえず資金をためる仕事を始めると聞いた。

「何かの時は、今度は僕が協力するから、連絡してね」こんなことを話してから、
お互いに忙しかったのだろう、疎遠になって行った。
僕は『テイクジー・ブロック』を自分でも販売して行くために

このブログやホームページをつくった。

このブログの一番上に『テイクジー・ブロック』が並んでいるのはその名残。

名残といってしまうのは、
このブログを初期から読んで下さっている方は知っていることなのだけれど、

最初の頃のブログでは
『テイクジー・ブロック』の販路がうまく開拓できないことなども書かれている。

ブログを初めて1年くらいのところで、
海外のブロガーに僕の寄せ木作品が「発見」され、

あれよあれよという間に国内外から作品の問い合わせ、作品展の依頼が舞い込み、

ブロックなどの子供向け玩具を開発する暇など無くなっていった。

寄せ木の作品が僕の代名詞となり、
「無名」の作家は「take-g」「中川岳二」という作家になった。
成功の秘訣は「続けること」だという。

確かに毎日毎日、休むことなく、飽きることなく、石を積み続けていれば、

「あれ、あんなとこに山あったっけ?」と誰かが気づいてくれるかもしれない。

続けていればいつかは必ず人の目に届く高さになるはずで、

僕が積み重ねるとんがりコーンも、

「あれ?あんなところに東京タワー?」と気付いてもらえたと思う。

でもホームページをつくっていなかったら、そのいつかはいまだ訪れず、

「無名」のまま、とんがりコーンだったかもしれないのだ。

『テイクジー・ブロック』を知ってもらうためにつくったホームページが、
思わぬ結果をもたらした。

2011年に開催した中野市での個展に大勢の方が来て下さり、
僕の想像を遥かに超える成功に終った。

作家活動の初期から応援して下さった方々は自分の側にいてくれたので、
直接に感謝を伝えることができた。

中野の個展の時にも展示してあった『テイクジー・ブロック』で、

子供も大人も楽しんでくれている姿を見ている時、
「影山さんにも感謝が言いたいね」と妻と話していた。

縁とは不思議なもので、個展が終わり、
予約注文分の作品を仕上げていると、電話が鳴った。

「ご無沙汰しております。影山と申します」
「おお!久しぶり、元気にしてた?」

「仕事は順調にいっていて、資金ができたので、
そろそろほんとうにやりたいことをやろうかと思いまして~~~」
とまぁ、

長くなりましたがこんな訳で昨年春よりテイクジー工房には「スタッフ」が加わり、

『針葉樹の家具』や『テイクジー・ブロック』『テイクジー・ズー』のリニューアル、

『乳幼児向け玩具』などなど一気に商品を揃えるつもりです。

今年の秋頃にはホームページでまとまったかたちでお見せできるようになると思います。

そういえば彼が工房に加わった2012年に不思議なことが起きました。

発売から6年を経た『テイクジー・ブロック』が
今になって「グッド・トイ2012」選定玩具に認定されました。

どこかの児童施設に◯◯社が販売したブロックがグッド・トイ選定委員の目に止まり、
推薦してくれて決まったそうです。

授賞式の日に僕には外せない用事があったので、
代わりに影山に授与されに行ってもらいました。

2人で初めて取り組んだ仕事が、
再び協力しようと動き始めたタイミングで評価されたわけで、

縁というのか何というのか、
「がんばれよ!」と何者かに背中を押されたような感じがしました。

授与式で『テイクジー・ブロック』は選定委員の方から高い評価を頂きました。

しかしいかんせん高い評価と同じくらい値段も高いとの評価も頂きました。

今この後者の方の高さだけを低くすべく、

製造工程やセット組、パッケージの見直しを行い、近くリニューアル予定です。
さて、寄せ木以外の玩具や家具を充実させて行くこの機会に、

テイクジートイズを

『中川岳二』と『テイクジートイズ』の2つに分けようと考えています。

寄せ木作品は『中川岳二』の作家活動として、今までと変わらずやって行きます。

寄せ木作品以外のもの(針葉樹の家具や乳幼児向け玩具)は『テイクジートイズ』とし、
具体的にはホームページを分けたり、個展や展示会を分けたり、
同時開催したりしていこうと思います。

実質的にはこれまでと何ら変らないのですが、『テイクジートイズ』といっていると、

いかにも会社なので、美術館規模の展覧会に参加する時などに不自然になってしまい、

ふつうに『中川岳二』といった方が通りがよいという理由です。

このことは自分で気付いたのではなくて、
親友でありアドバイザーのK氏に指摘されてのことで、

全くその通りと腑に落ちてしまったわけです。

自分では気付けないことってありますね。
『テイクジートイズ』と名乗りはじめたのは大学3年の時からで、

とても思い入れがあります。

もともとは「美術品」とか「工芸品」とか「作品」「商品」「製品」とか

呼び分ける必要があるだろうかという疑問があり、

例えば「作品」と「製品」をどこで線引きするかと考えてみると、

「手づくり」というのが何かありそうですが、

手づくりってなんなの?木工作家は機械をたくさん持っていますとか、

どこまでいっても決着を見ない訳で、だったらそれ全部同じことだとして、

『テイクジートイズ』では分け隔てなく「作品」「商品」「製品」もつくればいいじゃん、
但し「美しい」ものにかぎるとした訳です。

だから『中川岳二』と『テイクジートイズ』の2つに分けるというのは
名残惜しくもあるのですが、僕もいつまでもとんがりコーンじゃいられない。

そんな訳です。
人として多少丸くなろうとも、

作品づくりにはよりいっそう励んで行こうと思っていますので、

どうぞこれからも変わらぬご声援をよろしくお願いいたします!

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林業作業体験講座3。

先の日曜日に林業体験の3回目がありました.

今回は「刈り払い機の取り扱い方」ということで、
次回の下草刈り作業の前に、刈り払い機の安全な扱い方の座学でした。
僕は「草刈り機」と呼んでいますけど、正確には「刈り払い機(刈払機)」というそうです。
草刈り機って草を刈るにはとっても便利なのですが、毎年事故が起きていて、
飛び石による軽傷から、隣で作業していた人に刃があたる重傷・死亡事故が絶えないとのこと。
僕も中野に住みはじめて、ホームセンターで草刈り機を買って、
説明書を一読して使いはじめたので、
もしもの事故を考えるとちょっと認識が甘かったかもしれません。
誰だか知りませんがこんなブログを発見しましたので、リンク先の写真を見てください。
いけませんねぇ、誰なんでしょうこの無防備な格好の若造は!?
長靴を履いている以外は、事故・怪我のオンパレード、
教科書的にいえば危険運転、即逮捕といったところですね。
もし、いまだに怪我をしてないとすれば、運がいいだけ、すぐ猛省すべきでしょう。
長袖長ズボンに防じん眼鏡・保護帽・耳栓・防振手袋・すね当てを着用し、
できるなら腰バンド付きで、スイッチが手元にある最新式の草刈り機に買い替えるべきです。
古いものを大切に使うのもよいことですが、命あってのことと心すべきです。
いや~私も年ですかね、つい若者には口酸っぱくなっていけませんね。
だいたいにおいて、ブログの題名が草刈り機をなめているとしか言いようがないわけで、
・・・いけません、ネットを介した小言はとまりませんね、
そろそろ若者も耳栓を着用したところでしょうか。
さてさて、ほぼ1日「刈り払い機の構造と安全な管理方法」を学び、
昼休みに体験講座1回目にやったキノコのお世話もしました。
ふせ込みという作業で、寝かして置いていた植菌した原木を間隔を取っておき直しました。
木漏れ日の下ですくすく育ってくれるといいですね。
さて、取り組んでいる針葉樹家具のモデルが完成に近づいてきました。
影山と針葉樹家具に取り組みはじめてから、
アイデア自体はどんどん溢れて山積みなのですが、
現在は実現性の高そうな5種を進めています。
中でも実現性が高そうというか、既視感があるというか、
「あえ?これ桶じゃね?」な家具がこれです。
「そう!これ桶です。」な、この家具は針葉樹の弱さを解決する、
単刀直入で、既に千年以上の実績を持つ答えの一つです。
桶は底板・側板・タガ(金属や竹でできた輪っか)の3つのパーツで出来ています。
シンプルな構造ながら繰り返し使われるほどの強度と耐久性を持ち、
プラスチックや金属の容器が登場するまで、
長らく酒や醤油・油などの液体の運搬に使用されてきました。
ポイントは側板の構造で、数枚から数十枚の短冊状の板を円筒状に並べるために、
内側に向かって狭くなるようにテーパーがついています。
これは側板を円筒状に並べるためだけでなく、
合わさった時に内側に力をかけても押し込まれない構造になっています。
また外側に開く力に対してはタガで締め付けているので、
タガが切れるか外れるかしない限りは壊れません。
この構造は結物構造と呼ばれ鎌倉時代に生まれたそうです。
ちなみに「あの人はタガが外れたようだ」という規則や束縛から外れ度をこす様の比喩は、
桶のタガから来ています。
この優れた構造を家具に出来ないかという視点で見てみます。
無垢の木でテーブルをつくると、天板(テーブル面)が反ってしまうので、
天板の裏側に木や金属で作られた反り止めを付けるか、
端バミといって天板の木繊維の方向と直行する木材のパーツを両端にはめなければなりません。
写真の子供用のテーブルの天板は桶でいう底板になっています。
桶の底板は側板の溝にはめ込んであるので、桶の構造自体が反り止めの効果を持っています。
脚部は側板に取り付けるだけで、上記に書いたと通り、
内側外側に加わる力に強くなっています。
桶の構造を利用することで、
針葉樹の弱さを克服しつつ、針葉樹の軽さを生かした家具になりました。
小椅子の方は座面のパーツができ上がって来ると、とてもかわいらしくなると思います。
こちらは1年以上前に試作して、うちの娘たちでモニターしてきました。
椅子としてだけでなく、洗面所などではステップとして重宝し、
中心に開いた穴に指を入れて持ち上げると、2才の子どもでも楽に持ち運びで来ます。
普通の椅子のような脚部の出っ張りがないので、
持ち運びの時に壁を凹ましたり、転んでも大事には至りませんでした。
2才から6才くらいの子供用を想定しているのですが、使い終わっても、
中心にあけられた穴を利用して、あるものに変身しちゃいます。
右が1年使用、同じサワラという木ですが、色に変化が見られますね。
当初、樹脂のタガも考えていたのですが、金属の方がかっこいいです。
風呂上がりにカリカリと音がすると思ったら、
新しい試作つくえでさっそくお絵描きしています。
お絵描きならA4の紙で2人までの大きさかな。
右の姉があと数日で6才、左の妹が3才と1ヶ月で、成長曲線中程の子どもです。
朝、ブログを書いていると後ろの方でカリカリと音がすると思えば、
早起きした妹の方が「私の席」にちょっこり座って、どしどし絵を描いています。
日々絵が量産されているうちではお絵描きはコピー用紙を使っていて、
やっぱりA4なら2枚まで、A3だと1人用のつくえですね。
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